朝ドラ『虎に翼』で注目された帝人事件。人格を持つ「金」について 波多野聖著『悪魔の封印 眠る株券』を読む【緒形圭子】
「視点が変わる読書」第13回 人格を持つ「金」 『悪魔の封印 眠る株券』波多野聖
◾️50代の若さでリタイアしたファンドマネージャーの視点
物語は、50代という若さでリタイアしたファンドマネージャーが以前勤めていたスイスの銀行を訪れるところから始まる。そこで彼はかつて上司だったJから奇妙な依頼を受ける。Jが担当するスイス人の富豪が亡くなり、その資産を整理中に、日本の古い株券が見つかった。これが一体どういう素性のものなのか調査して欲しいというのだ。
調査を始めたファンドマネージャーはその株券が昭和9年に日本で起きた帝人事件に関わるものであることを知り、株券に添えられたノートから、その事件の闇へと誘われていく。
帝人事件が起きる二年前、海軍青年将校、陸軍士官学校生徒らが首相官邸を襲撃し、首相の犬養毅を射殺した。この五・一五事件により政党内閣は排斥され、斎藤実を首班とする挙国一致内閣が成立した。斎藤は軍部に抗し世情を正常に戻そうと努力したが指示を得られず、中傷や怪文書によって閣僚が次々辞任に追い込まれる事態となった。
一方経済は米国発の金融恐慌の波に飲み込まれ昭和恐慌が始まっていた。大量の首切りによって失業者が街に溢れ、農村では娘の身売りや欠食児童が深刻な問題となった。国民の憤懣は噴出し、長引く不況の元凶は財閥、財界、それらと結託する経済閣僚だと糾弾され、三井の代表である團琢磨が血盟団に殺された。
こうした混乱の中、帝人事件は起きた。
小説の中心となる人物は河合良成。農商務省の官僚だったが、財界の世話役である郷誠之助に請われて東京証券所の理事になったことから、経済人としての実力を発揮し活躍の場を拡げるも、帝国人絹株の贈収賄に関わったとして逮捕される。
河合、郷、永野護、正力松太郎、武藤山治といった実在の人物とともに、青森県出身の不運の実業家・福原憲一、野望に燃える検事・黒川悦男という架空の人物が登場し、帝人事件が、経済を主軸に、現代に生きる一人のファンドマネージャーの視点を通して描かれている。
恐慌の中でも、人間の欲望は失われることはない。欲が欲を呼び、それが金と連動して歪んだうねりを生み出していく。
帝人株を取得し、取締役となった河合は自分の取り引きは完全無欠の商行為だと自信を持っていた。しかし、郷は「自信を持ちすぎるな。自分にも番町会にも、そして僕にも。この世は自分達が思うほど自由にはならん。僕も分を弁えているつもりだ。今の時代どこに地雷が仕掛けられているか知れん。法律上どれほど正しく白であっても、大きな流れにかかれば黒とされてしまう。無理を通そうとする力があらゆる方向から現れている。誰もがテロを画策しているのだ。だから用心しろ」と心配していた。その心配は現実のものとなる。
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